オリンピックに参加する地域について
アメリカ領バージン諸島(アメリカ準州)|カリブ海
所属|アメリカ合衆国の保護領(自治領)
首都|シャーロット・アマリー
通貨|アメリカドル
国旗の解説
- 制定日
- 1921年5月17日
- デザインの基礎
- アメリカ合衆国の紋章を単純化
- 文字
- バージン諸島を表す「V」と「I」を配置
- 各パーツの意味
- ワシ|アメリカ合衆国の紋章に基づいている
- 月桂樹|平和の象徴
- 3本の矢|バージン諸島の主要な島であるセント・トーマス島、セント・クロイ島、セント・ジョン島を表す
場所はここだよ
こんな国だよ
- 植民地時代
- アメリカ領ヴァージン諸島はかつてデンマークの植民地で、「デンマーク領西インド諸島」と呼ばれていた
- デンマークが植民地としての関心を失った20世紀初頭、アメリカ合衆国が買収した
- 殺人と病気と過酷な奴隷制度でアラワク族は1600年代後半までに滅亡した
- 現住民のほとんどが奴隷として連れてこられたアフリカ系の末裔である
- 地理
- 東側はイギリス領ヴァージン諸島
- 約40の島々で構成、主要な観光地はセント・トーマス、セント・クロイ、セント・ジョンの3島
- 歴史
- 先住民
- 石器時代にアラワク族の狩猟採集民がいた。後にカリブ族がアラワク族を襲い、人口が減少
- 探検と植民
- 1493年、コロンブスがセント・クロイ島に到達
- 1625年、ヨーロッパ各国が入植開始
- 1673年、アフリカ人奴隷が初めて島に連れて来られた
- 反乱
- 1733年、セント・ジョン島で奴隷の反乱が発生したが、オランダとフランスの助けで鎮圧
- デンマーク領西インド諸島
- 1733年、デンマークがセント・クロイ島を買収し、総督による統治が始まる
- アメリカ領
- 第一次世界大戦中の1917年、アメリカ合衆国がデンマークから買収
- 1932年に自治法が成立し、島民はアメリカ市民権と自治政府、投票権を得た
- ただし未編入領域であるため大統領選には投票できない
- 先住民
数々の困難を乗り越え、市民権を得られるようになったんだ。
植民地とは本当に勝手で酷いことばかりだな・・・
イギリス領バージン諸島(イギリスの海外領土)|カリブ海
所属|イギリスの海外領土(自治領)
首都|ロードタウン
通貨|アメリカドル
国旗の解説
- 制定日
- 1960年11月15日、王立領事館によって採用
- デザイン
- イギリスに関係する組織や地域で使用されるブルー・エンサイン旗で、左上にユニオンジャックが配置されている
- 各パーツの意味
- ユニオンジャック: イギリスの海外領土であることを表す
- 紋章
- 紋章の盾の中には伝説のキリスト教徒の聖ウルスラと火のついた11個のランプが描かれている
- 聖ウルスラ
- キリスト教の伝説の聖女
- 11個のランプ
- 聖ウルスラと殉教した11,000人の処女を表す
- 「VIGILATE」
- ラテン語で「用心深くあれ・警戒せよ」という意味
場所はここだよ
こんな国だよ
- 先住民時代
- ヨーロッパ人が到来する前は、アラワク族が住んでいた
- コロンブスの到来
- 1493年にコロンブスが訪れ、スペインが領土と宣言したが定住はしなかった
- ヨーロッパ列強の進出
- スペインが海上の覇権を失うと、イギリス、フランス、デンマーク、オランダが集積
- 1648年にオランダが最初の定住地を築いたが、英蘭戦争で奪われた
- イギリスの支配
- イギリスは黒人奴隷を使ってサトウキビなどのプランテーション農業を展開
- しかし、奴隷制廃止とハリケーンの影響で一時的に沈滞した
- 行政の変遷
- イギリス領リワード諸島の一部として統治されたが、1950年に自治議会が設立
- 1960年にはセント・キッツ・ネビスから分離
- 1967年には国防と外交以外で完全な自治権を得た
- 産業の転換:
- プランテーションから観光や金融業に産業を転換した
ここも数々の困難を乗り越え、ようやく市民権を得られるようになったんだ。植民地とは本当に勝手で酷いことばかりだな・・・
ケイマン諸島(イギリスの海外領土)|カリブ海
所属|イギリスの海外領土
首都|ジョージタウン
通貨|ケイマン諸島・ドル
国旗の解説
- 制定日
- 1958年5月14日に採択された
- 旗のデザイン
- ブルー・エンサイン(Blue Ensign)
- 右側にケイマン諸島の紋章
- 以前の旗
- 採択以前はユニオンジャックが使用されていた
- 国旗の説明
- ユニオンジャック:イギリスの海外領土の象徴
- パイナップル:ジャマイカとの関わりを表す
- 亀:かつては主要な輸出品だった
- ライオン:イギリスの象徴
- 3つの星:ケイマン諸島を構成する主要な島(グランドケイマン、ケイマンブラック、リトルケイマン)を表す
- 諸島のモットー(旧約聖書の賛美の詩より)「He hath founded it upon the seas」が書かれている
- 意味:彼はそれを海の上に創られた
- 意味:彼はそれを海の上に創られた
場所はここだよ
こんな国だよ
- 1503年5月10日:コロンブスの4度目の航海中に発見される
- ウミガメが多く「ラス・トルトゥガス」と命名される
- アメリカワニが多く生息していたため「ケイマナス」とも呼ばれるようになる
- 1655年:イギリス海軍がスペイン領ジャマイカを奪う
- 1670年:マドリード条約により、ジャマイカとともにイギリス領となる
- 最初の住民
- クロムウェルの海兵ウィリアム・ボーデンがボーデンタウンを築く
- 20世紀初期に首都がジョージタウンに移るまで、ボーデンタウンが中心地であった
- 海賊の侵入
- 海賊がケイマン諸島に侵入し、ケイマンブラック島の洞窟に財宝を隠したと言われる
- これが『宝島』のモデルともされる
- 海賊がケイマン諸島に侵入し、ケイマンブラック島の洞窟に財宝を隠したと言われる
- 1961年:西インド連邦が結成される
- 1962年:ジャマイカが独立するまで、ジャマイカとケイマン諸島は一つの植民地として統治されていた
コロンブスに見つかったらその地域は破壊されたも同じなんだね…
バミューダ(イギリスの海外領土)|大西洋
所属|イギリスの海外領土
首都|ハミルトン
通貨|バミューダドル
国旗の解説
- 正式承認::1967年10月
- 旗の種類デザイン
- 珍しい「レッド・エンサイン旗」で、商船旗を基にしている
- ユニオンジャック:イギリスの海外領土であることを表している
- 右にバミューダの紋章
- バミューダの紋章
- イングランドの象徴である赤いライオンが、嵐の中の難破船が描かれた盾を持っている
- 盾に描かれた難破船は、1609年にバージニア植民地のジェームズタウンへ向かったシー・ヴェンチャー号を表します。
- 1609年のシー・ヴェンチャー号がバミューダ島へ難破したことで、植民地化が始まる
場所はここだよ
こんな国だよ
- 発見
- 1500年代初頭、スペインの探検家フアン・デ・ベルムーデスにより発見
- 発見当初も、100年後の入植の時も無人島であった
- 鳥や豚などの鳴き声や頻繁に嵐に見舞われることから「悪魔の島」と呼ばれる
- イングランドによる入植
- 1609年、嵐で漂着したイングランド船団が定住を開始
- 1612年、イングランド人がヴァージネオラに入植し、セント・ジョージを設立
- 19世紀
- アメリカ独立後、イギリス海軍によって港を整備
- 20世紀以降
- 20世紀初期、観光地として人気
- 1970年代後半、観光に代わり国際ビジネスが主要分野となる
バミューダは当初無人島で、先住民は居なかったんだね。
プエルトリコ(アメリカの自治的・未編入領域)|カリブ海
所属|アメリカの自治的・未編入領域
首都|サン・フアン
通貨|アメリカドル
国旗の解説
- 採用
- 1952年、知事とその政権により1892年当時のデザインを公式の旗として採用
- デザイン
- キューバの国旗とは赤と青が反対のデザイン
- 3つの赤の縞模様: 立法府、行政、司法機関に栄養を与える“血”
- 2つの白の縞模様: 個人の自由とバランスのとれた権利
- 青い三角: 三権によって表される“共和党政府”を表現
- 白い星: プエルトリコ連邦
場所はここだよ
こんな国だよ
- プエルトリコの名前の由来
- スペイン語でプエルトは「港」、リコは「豊かな」つまり「豊かな港、美しい港」の意味
- スペイン語でプエルトは「港」、リコは「豊かな」つまり「豊かな港、美しい港」の意味
- 植民地前
- タイノ人の居住
- 南アメリカのギアナ地方からカリブ海周辺の島々に移住してきたアラワク族系のタイノ人が居住
- 島はボリンケンと呼ばれていた
- タイノ人の居住
- スペイン植民地時代
- コロンの到着
- 1493年11月19日、クリストバル・コロンが到着
- 島の名前
- 当初は「聖ヨハネ(サンフアン)島」、後に「プエルトリコ島」となる
- 征服と入植
- 1508年、フアン・ポンセ・デ・レオンが島を征服し、入植開始
- 1570年代に金が枯渇し、定住型農業植民地に移行
- 防衛拠点
- 16世紀から18世紀にかけてイギリスやオランダの海賊の攻撃を受けるも撃退
- コロンの到着
- スペイン独立戦争
- 1808年に勃発
- プエルトリコでは19世紀初頭まで小農民による自給自足的な経済が続く
- 19世紀
- 人口増加
- 難民の流入により1833年に人口33万人に達する
- 経済変化
- サトウキビのプランテーションが奨励されるも非効率であり、コーヒーが主要輸出商品に
- 黒人奴隷制度は維持されたが、プエルトリコでは砂糖プランテーションが発達しなかったため、黒人奴隷の大規模な導入には繋がらなかった
- 独立運動
- 1868年に最初のラーレス独立蜂起が勃発
- 1873年に奴隷制廃止
- 人口増加
- 自治政府成立
- 1898年3月に自治政府が成立
- アメリカとスペインとの戦争後アメリカ軍に占領され、パリ条約によりアメリカ合衆国の領土となる
- 20世紀、アメリカ合衆国領時代
- プエルトリコ民政府
- 1900年7月にフォラカー法で民政府が成立。プエルトリコは合衆国大統領が任命する直轄領となる。
- 市民権と徴兵
- 1917年のジョーンズ=シャフロス法により、島民はアメリカ市民権を得るが、合衆国大統領選挙への選挙権は与えられず、徴兵対象となる
- プエルトリコ民政府
- ムニョス・マリン時代(1941年 – 1965年)
- 自治拡大
- 1940年の選挙で勝利し、1948年に初の知事直接選挙でムニョスが知事に選出される
- 独立運動
- 1950年に反乱が発生し、1954年にはアメリカ合衆国下院を攻撃
- コモンウェルスとしての内政自治権
- 1952年に内政自治権が付与され、工業化が進む
- 自治拡大
- 二大政党制時代
- 新進歩党結成
- 1967年にプエルトリコ新進歩党が結成され、1968年の選挙で勝利
- 人民民主党との二大政党制が誕生
- 州昇格問題
- 1998年に州昇格を巡る住民投票が行われるも否決
- 新進歩党結成
サトウプランテーションが発達しなかったおかげで大規模な奴隷の導入には至らなかったって…怖すぎるよね。
グアム(アメリカ準州)|マリアナ諸島
所属|アメリカの準州
首都|ハガニア
通貨|アメリカドル
国旗の解説
- 制定日
- 1917年、米海軍の将校夫人ヘレン・ポールがデザイン
- 旗のデザイン
- マリンブルーの地に深紅の縁取り
- 中心にグアムの紋章
- 紋章の要素
- 中心の楕円:グアム島で使われた武器「投石器」
- 椰子の木:自給と成長の力を象徴
- カヌー:チャモロ人が作ったプロア船
- 背景:恋人岬の断崖と海
- 川:他の人々と島の資源を共有する気持ち
- 陸地:チャモロ人の環境に対する深い愛情と責任
- 赤の縁取り:チャモロ人が流した血
- マリンブルーの地:海と空、グアムの融和
場所はここだよ
こんな国だよ
- 古代
- 紀元前3000年~2000年頃:東南アジア系民族チャモロ人がグアム島に移住
- ラッテストーンと呼ばれる古代チャモロ遺跡が存在する
- スペイン植民地化
- 1521年:ポルトガルの探検家マゼランが初めてグアム島に到達
- 1565年:レガスピがスペインの領有を宣言し、植民地となる
- 1669年:スペイン・チャモロ戦争でチャモロ人が激減
- アメリカによる占領と支配
- 1898年:スペインとの戦争に勝利し、グアムがアメリカに割譲される
- 1950年:グアム自治基本法によりアメリカ合衆国の「自治的・未編入領域」となる
- 日本による占領
- 1941年:太平洋戦争開始後、日本軍がグアムを占領し「大宮島」と改名
- 1944年:アメリカ軍がグアムを奪還
- アメリカの再占領と支配
- 1950年:グアム自治基本法により初の民間人知事が就任
- 第二次世界大戦後:アメリカ軍の重要な基地として使用
- 1960年代後半以降:観光地およびリゾート地として発展
- 2010年:準州知事フェリクス・カマチョがグアムの呼称を「Guahan」に変えることを呼びかけ
- その他の情報
- アメリカ合衆国の準州であり、住民は大統領選挙の投票権を有していない
日本人にもなじみ深いグアムも、植民地化によって多くの血が流れたんだ…
アメリカ領サモア(アメリカ準州)|オセアニア
所属|アメリカの自治領・準州
首都|パゴパゴ
通貨|アメリカドル
国旗の解説
- 制定日
- 1960年4月24日、サモアの地方政府の指導者とアメリカ陸軍紋章研究所により制定
- デザイン
- 赤、白、青の色は、米国とサモアの両方で伝統的に使用されている色
- 各パーツの意味
- 白頭ワシ
右側に描かれているアメリカの国鳥
サモアの伝統的な道具を持っており、米国の保護と友好を表す - 払子(ほっす)※ハタキ
- 右の爪に持っており叡智を表す
- 武器(メイス)
- 左の爪に持っており政府の権力を表す
- 白頭ワシ
場所はここだよ
こんな国だよ
- アメリカ領サモアの歴史
- 紀元前1000年ごろ
- サモア諸島に人が住んでいた
- 18世紀まで
- ヨーロッパの探検隊には知られていなかった
- マヌア諸島の王トゥイ=マヌアは、太平洋各地の群島を支配
- トゥトゥイラ島やアウヌウ島は、ウポル島(現在のサモア独立国)と強く結びついていた
- 紀元前1000年ごろ
- 西洋人による侵略
- 18世世紀
- フランスの探検家とトゥトゥイラ島の住民との戦闘
- 1830年代
- 会衆派教会ロンドン伝道協会の宣教師団がキリスト教を移入
- 1889年
- ドイツ海軍の軍艦がサモアを襲撃
- 19世紀後半
- 国際関係の対立がサモア諸島に及ぶ
- 18世世紀
- アメリカ領としてのサモア
- 1900年:東西に分割され、アメリカが東半分を占領する
- なお西側はドイツが占領し、後にサモアとして独立を果たす
- 第二次世界大戦中:アメリカ海軍の基地に多くの兵員が駐留し、サモア人の人口を上回る
- 1967年7月1日:憲法が発効し、自治政府が成立
- 1900年:東西に分割され、アメリカが東半分を占領する
- 現在
- アメリカ領サモアは国際連合非自治地域リストに記載されている
冒険家って聞くとワクワクしていたけど、実は侵略者であり、文化の破壊者でもあるんだね…
身勝手すぎるよ。
香港(中華人民共和国香港特別行政区)|アジア
所属|中国の香港特別行政区
首都|中西区
通貨|香港ドル
国旗の解説
- 現在の香港の旗(1997年~)
- 制定日
- 1990年2月の香港基本法起草委員会第9回全体会議で選ばれ、1997年7月1日に正式に掲揚。
- デザイン
- 中央に香港の市花であるバウヒニアの花が描かれ、花びらに赤い5つの星が配置。
- 各パーツの意味
- 赤色: 中国の社会主義を象徴
- 白色: 資本主義を象徴
- 花びらの星: 中国の国旗「五星紅旗」に由来し、一体感を表現
- 制定日
- イギリス統治下の香港(1959~1997年6月30日まで)
- デザイン
- 左上のカントン部にユニオンジャックを配したブルー・エンサインと香港の紋章が配置
- 紋章にはライオンと龍が描かれており、イングランド紋章院によってデザインされた
- 使用
- 1997年まで使用され、その後香港独立派の象徴となる
- デザイン: 左上のカントン部にユニオンジャックを配したブルー・エンサインと紋章が使用されていた
- デザイン
場所はここだよ
こんな国だよ
- 広東語を話す人は、主に広東省から移住した人々が多く、1930年代から1960年代に中国から逃れてきた
- 香港の設立
- 1839年〜1842年のアヘン戦争後、大英帝国の植民地として設立
- 香港島が最初にイギリスに永久割譲され、1860年に九龍半島、1898年には新界が租借された
- 難民の流入
- 太平天国の乱、義和団事件、辛亥革命、日中戦争などの影響で難民が続々と香港に流入
- 第二次世界大戦
- 1941年〜1945年、日本軍とイギリス軍・香港義勇軍の戦いがあり、日本の占領が1945年8月まで続いた
- 戦後の統治
- 中華民国には返還されず、イギリス統治が再開され1997年まで続く
- 移民ブーム
- 1989年天安門事件後、イギリス連邦の構成国であるカナダ、オーストラリア、シンガポールへ移住
- 香港の返還
- 1997年7月1日、香港は中華人民共和国に返還され、特別行政区となる
- 一国二制度の原理の下、独自の法制度と政治制度を保持
- 自治権
- 香港特別行政区基本法により高度な自治権を有するが、完全な自治権ではなく、中央政府の委任に基づく地方運営とされる
香港は中国から独立する運動が起きているニュースを見るよね。
チャイニーズタイペイ(台湾)|アジア
所属|台湾(中華民国)
首都|台北(タイペイ)
通貨|ニュー台湾ドル
なぜ通常の台湾国旗を使用しないのか?
- チャイニーズタイペイについて
- 用途
- 国際スポーツや国際機関などの場で、中華民国(台湾)を示す呼称として使用
- 背景
- 外交的孤立:1970年代以降、国際連合での代表権を失い、外交的孤立に直面。
- 妥協策:主権・国家承認問題を棚上げし、国際社会に参加するための妥協として採用。
- 名称の制約
- 中華民国が中国全土を代表するという建前により「台湾」の名称が使用できず、また中華民国という名称も国際社会で受け入れられなかった。
- 一つの中国論
- 中華人民共和国の主張により、「中華民国」と「台湾」の名称の使用が難しくなった。
- 最初の使用
- 台北市に本部を置く「中華奧林匹克委員會」(台湾の国内オリンピック委員会)の英文名称およびオリンピック参加名義として使用されるようになった。
国旗の解説 ※オリンピック方式(チャイニーズタイペイ)
- 概要
- 「中華民国」ではなく「Chinese Taipei(中華台北)」名義で国際的な場に参加し、青天白日満地紅旗を使用せずに参画する方式を取っている
- 呼称
- オリンピック方式(またはオリンピック委員会方式、Olympic model, Olympic Protocol)。
- 国旗
- オリンピックでは国旗の代わりにオリンピック委員会旗を使用
- その他の大会: オリンピック以外の国際競技大会や民間組織でも使用される事例あり。
- デザイン
- 白地の旗に中華民国の国花「梅」の意匠を描き、中央に中華民国の国章(青天白日)とオリンピックシンボルを配置
- その他の使用例
- オリンピック: 中華民国の国旗の代わりに使用され、表彰式では「チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会歌」が演奏される
- その他の大会: バレーボール世界選手権やワールドベースボールクラシックなど、オリンピックと直接関係しない大会でも使用されることがある
場所はここだよ
中国と台湾の問題がある中での折衷案ってことなのね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。オリンピックでは普段見慣れない地域の旗をいくつか見ることが出来ます。
え!?こんな国旗見たことない!って興味を持って頂ければ幸いです。